気圧と気持ち

気圧と気持ち 

 

 

昔 韓国にいたとき 

姑や小姑 周りのおばあさんたちが

もうすぐ 雨がふるよと 占い師のようにいい当てていた

 

 

 何故わかるのかと聞いたら

 一人も違わず 

体が重いとか痛いとか具合がわるくなると

 

 

 へーーーと

 

 

初めて聞いたときは 

すごい思い込みじゃないかと思っていた

 

 

でも一緒に住んでた姑小姑をみても 

嘘ではなさそうだった

 

 

何故そうなのか???? 

 

自分事とは つながらず

 

梅雨が終わった宣言したにも関わらず

 

ものすごい雨が西日本で降っていた

 3日で2か月分の雨が降ったとか 

 

 

竜巻並みの風が吹いて 

何かが吹っ飛んだとか

滋賀の友人の家は

土砂崩れにあったと飛んで帰った

 

 

 気圧が低気圧なのか

 何がそうで台風でもないのに

 

 

こんなに雨が降り 風が吹くのか

 よくはわからないが 

 

はじめて 

体が重い気分が上がらないということと 

気候がつながった

 

きっかけは

 

私はずっと あまり心の動きを見ることが 苦手だった

 

 

何を感じてるのか 

 

 

すぐに心をブロックして 

何物も自分さえも

入らなくしてしまう達人だった

 

 

 感じたところで それをどう受け止めて 

行動したらいいのか

 

 

小さいころはわからないので 

頭で考える訓練だけした

 

 

寂しい 辛い やりたくない

 

 

それを受けてもらえないから 

 

自分が感じないことにしようときめた

 

 

 ほんとの解決策ではないが 

小さいころの私が 選択した解決策だ

 

まあまあ 日常生活を普通にしていくなら

 

なかなか有用な方法だったと思う

 

それをしなければ 

 

多分学校にも会社にも

人間関係にも支障が出ていただろう

 

 

世間とかかわれない子供

人間になっていたかもしれない

 

 

人類共通のパターンを観る  

ntechに出会い

 

 

自分の無意識に気づくことが 

どれほど大事であるか 

 

 

そこから 

世界恒久平和につながることに気がついた

 

 

 感情をどのように扱うか 

=自分の尊厳をどのように扱うか

 

 

他人を大事に思う前に 自分をどれだけ大事に感じているか?

 

 

 みんなは私と違って 感じて生きてこられたのか、、

 

きいてみたい

 

 

私は 人生を映画で例えていうなら

 

 

映画タイトル「生きるのが無意味無価値な私の どうせ生きるなら物語」

 の主人公だった

 

 

人間は生きることはもちろん その存在も 意味価値がないと決めていた

らしい。。。

 

 

無意識だったので 48年間気づかずに その主人公どうりの画面が現れていたと思う

 

 神との対話を今読んでいるが

 

 

その中の神も

 

 

あなたが選択し 臨んだことだけが現れると言っていた。

 

 それが嫌なら 違うことを選択したらいいと

 

 

望んでるわけないでしょうと思ってたけど

 

 

深いところでの決断がかわらなければ 

私の前には

 

 

人間は無意味無価値な場面=私だという現実がうまれる

 

 

 人間は選択 創造だけをしていると神との対話の神もそう言っている

 

 

それが嫌ならば すぐに違うものを選択すればいいと

 

 

わからなければ 選択もできないでしょうと言いたいけれど

 

 

その法則を知ってる人は

 

 

引き寄せの法則のように使って自分の現実変えてるらしい  

 

今から出発しようと

 

 

心を感情をみて 私の尊厳人生を始めようと思った

 

 

矢先の事

 

かなり心は繊細なことをキャッチする

 

 会いたい子供たちのことを思って泣けたり

(前はどうせ会えないから感情をしめて会いたい心をみないようにしてた)

 

 

心と体がつながってることを 無理やり切ってきたから

 

 

周りがどうであろうと 前に前にすることだけをこなしてきた

 

心と体のブロックを解除したら

 

 

体が心と一緒に連動する

 

 

気候が重くなると自分の心も重くなる

 

 それが思い込みかもと 前は思ってた

 

 空では雨風台風気流が 大暴れしているとき

 

 傘が必要か 靴をどうするか 洗濯物がかわかない は考えても

 

 

自分の体と直結するなんて考えたことない

 

 

 どれだけ切ってきたことか

 

 

それが私の生き方だった

 

 

こういう生き方では

 

 

隣の人が 何を苦しんで 地球が何を痛みと感じなんてことは

 

 

ほんとの意味で 自分事ではない

 

 

狭い範囲でしたとらえられない

 

今モデル女優になろうとしてレッスン

受けて一か月目

 

 

意外なところだけど

 

 

このことを感じずに 演技ができないということを感じた

 

 

演技はその人の感情そのものにならなきゃ始まらないし

 

 

それができなければ女優ではない

 

 

 

 ある面 変な言い方かもしれないが

 

 

目の前に現れている 画面 私が選択したものともいえるかも

 

 

 

 

 

認識=存在ならば

 

 

とにかく

 

 

これからの時代 心の時代 精神の時代だといわれる時代に

 

 

自分の心の動きを 大事にとらえてみようと思う

 

 

 

 

 

簡単に言うけれど

 

 

やったことのない型で

 

 

生きるのはなかな大変だ

 

 

何かの武術の型から始める気持ちで

 

 

はじめてみよう

 

 

ワクワクに出会えること期待して^^