尊厳 modelHANAKAの変化ストーリー⑤

12月15日

私の大好きな歌手のXIAジュンスの誕生日でもある^^

 

 

 

3年前の12月15日

離婚が成立した。

 

 

 

私の過去歴はなかなかレアで強烈なのが多いといわれるけれど

 

 

その一つが今日の話

 

2015年12月15日

 

その日 シェルターから大邱にある家庭裁判所に行く道は

 

 

雪が今にも降りそうな重い雲が覆った曇りでとても寒い日だった。

 

 

8か月くらい続いている離婚調停はいつ終わるのか、、、全然わからず

 

 

離婚の過程は 相当なエネルギーのいるものだったㅠㅠ

 

旦那と顔を合わすことだけでもストレスで

明日 裁判所に行かなければならない日の前日に 夜中にうなされたこともあった。

 

 

その日もいつ離婚できるのだろうか。。。

 

 

来年の夏くらいにはおわるかな、、と思いながら歩いていた。

 

 

 

 

旦那は最後まで 離婚しないといっていたが

 

 

調停員三名が

 

 

私と私の弁護士に少し出ていてくださいと言って15分くらい経って

 

 

もう一度入ったら

 

 

離婚に同意したと言ってくれた。

 

 

 

びっくりして目を開いて何度かほんとですかと確認した。

 

 

 

私には子供が二人いて

 

 

離婚当時

上の娘は高校一年生

下の男の子が小学高学年だった。

 

 

だが離婚をして

一度も ほんの一瞬も

後悔をしたことがない。

 

 

幼児期ではなかったけれど

オンマの手が必要な時期には違いなかった。

 

 

 

でもオンマである前に

女である前に

人間としていきなければ 子供たちが幸せになれないと思った。

 

 

家庭内暴力を黙認して

私さえ我慢して丸く収まるという考えは

娘にも 女ならオンマならその道を行くべきだと言ってることになるし

 

息子には女はそういう我慢させてもいい存在だと認識させてしまうことになると

 

 

 

 

 

息子は体も人一倍大きく 性格も将軍のような男らしい性格だった

 

 

 

 

 

この子のために 毒矢をぬかなくてはならないと思うのが一番大きかった。

 

 

息子が 彼女ができ 結婚することになったとき カッとなったらどうするか、、

 

 

暴力を正当化する子にはなってはいけないと思った。

 

 

 

「尊厳」

 

 

人間の一番本質的なものでありながら

人間が認識することができなかった大切なもの

 

 

これからの時代は

今までの尊厳を踏みにじる生き方は終わりにしたい。

 

 

NRアメリカのDignity2.0のイベントで

 

 

尊厳とは心の中にもやっと動くものと

 

尊厳は名詞ではなく動詞だと

 

もやっとする 言語化はできないけれど何か動いたもの

 

 

言語化できないから 無視していいものではない。

 

 

なかなか感知することがなかったけれど

 

 

旦那との激しいやり取りで

こんなことまで言われるのか こんなことまでされるのかということも

 

 

私が尊厳に気づくための過程だったと今は思う。

 

 

 

 

 

 

娘は警察官になりたいと公務員になって 

家をでて自立すると勉強している。

 

 

息子は塾に行かずに 全校5番になったと。

 

 

教えてくれている放課後学校の先生に食いついて勉強しているらしい。

 

 

オンマがいないことは大変つらいことだと思うが

 

 

私がいる時以上に子供たちは 成長している

 

 

 

 

 

まず私の尊厳を選択するところから

 

 

 

 

 

韓国の女性は

 

 

家庭のために 子供のために

 

 

まずは犠牲の精神を要求されていた

 

 

 

 

 

日本もしかり

 

 

 

 

 

その時代は終わりにしたい

 

 

誰かが犠牲になって生まれる幸せなんてありえない

 

 

 

新たに2019年

 

 

人たちがもっと尊厳をもって

無限の可能性を開花できる時代にしていきたい^^