演技レッスン
事務所で受けているレッスン
一昨日はCM演技のレッスンだった
今までやったことないことばかりだから
楽しくもあり 難しくもありだけど
演技を習ってわかったことの一つに
感情は体の何処かに残っているということ
なので体験した感情を
再現することはとてもリアルに相手に伝わる
まるでそこにいる人もそうだったように感じる
感じていないことも
細胞までそのものになれるのが
演技者だろう
斉藤由貴は
悲しみの演技したら
細胞まで悲しみになったという
一瞬でも感じたこと
考えて感情を持ったものは
体のどこかに記憶されるというのは
納得する
全てはつながっているから
見えないものと見えるものが
誰かと私が
つながっていてもおかしくない
誰かが 体験した感情を
まるで自分が感じたように
体験する事が演技だとしたら
究極の立場チェンジできるのが
名演技者かと思う
どれだけ自分から出て
その人が自分のように感じるか
昨日の題材は
ある初老の女性が若い頃
乳癌にかかったとき
まだ幼い息子を考えて
苦しかった時を回想する場面
医者に宣告される場面
夫の前で不安で泣く演技の3つをした
まさか
泣けるかと思ってたが
泣いた
私は癌になったことはないけれど
数カ月前から
乳癌にかかった
知り合いのお姉さんの事を考えてた
彼女は
4,5年前に癌だとわかったけれど
西洋の治療は一切しないと決めた
それから一回も
癌の治療のために 病院には行っていない
彼女は
恐竜にも癌はあったと言う
だから体の一部であり
病気だと考えないと
人間はいつか死ぬとも
10年前に
西洋の治療で乳癌の手術を受け
その後 再発した友達の例もあげながら
自分は何もしないけれど
その間
楽しく生きたと
何を選択するかだと
病院の抗癌治療を受けた
お姉さんの友達は不安と苦痛の日々が多かっただろうと
お姉さんは
息子娘さんがいる
まだ成人していない子供もいる
今 何を選択をするか
だから私はいつも楽しい事
やりたい事だけを選択するといった
お姉さんの事を
思いながら
演技したら
泣いていた
以前私も
韓国にいた時
もし癌になれば
そのままにしておくと思っていた
私にとって
生きることは大変なこと
苦しいことだったから
なぜ治すと
いつか死ぬのに
息子娘には
少し申し訳ないが
生まれてすぐ死ぬお母さんもいる
自力で生きていけるまで
大きくしたから
まーそれも仕方ないと思ってねと
生き残った人達で
生をつないでくださいと
思ってた
それは
悟っているのか
ONE OK LOCKの
The bigginingの歌詞にあるように
〜失うものなどない惰性のように〜だったからか
ほんとに
死が目の前に来るとわかっていたら
そう思ったかどうかは
わからない
感情が 体に残るとしたら
そのお姉さんには
どんな感情で生きてこられたか……
癌は
酸素がなくても生きれる細胞だと
普通の細胞は
酸素がなければ生きれない
人が当たり前にあったものが
なくても
平気にならざる負えなかったかもと
思った
この前あった時
私に大丈夫って聞くのは
意味ないよと
もう
来年生きれるかわからない
だから
今やりたいことを楽しく感謝してるだけだと
お姉さんの生き方は
私が行ったかもしれない道だと思うと
お姉さんの選択を
尊重してあげたい気持ちと
癌を作ってしまった
心 感情から開放されて
奇跡を起こせないかとも思う
友達の医者も
奇跡は起きるといった
ただ彼女に行きたい意思が
強くあるならばと…
みえるものとみえないもの
体と心
生と死
楽と苦
全部 反対のようだが
それもつながってるから…
脳の観点ですぎない
演技のレッスンで
いろんな事
感じた
絵コンテを使い
その如くを再現する